伊藤 正個展(八月四日〜九日、ウエストベスギャラリー)

 

 彼はここ数年、精力的に仕事をしている。作品は初期のものをのぞいて流木を中心として発表している。このウェストベスギャラリ-での作品展以外の仕事では、この米松の角材の作品以外にも、波を思わせる平材を横にはわせ、その横材の上に流木を漂わすかっこうで、作品を組み合わせていた。
 彼の作品は身体に似せて流木を対置し、おおよそ言いがたいほどの人の思いを運んでしまう。「実は、この作品は単なる流木をひろい集めて角材の杭に山積みしてあるだけなのだ。」とは思えない。それは「作品のなかで問われるのは、その時々に目の前にある個々の有るものの再現などではなくて、物たちの普遍的な本質の再現であります」(ハイデッガー)にならって言うならば、流木という物自体の有様がつねに私たちに過剰な思いをいだかせてしまう。
 今回の作品がこれら流木のイメージをぬぐいさることからの出発なのかわからぬが、画廊の空間にならべられた角材と、上部まで塗りつけられた墨汁の抗は、それらイメ-ジの拒否をしているのかもしれない。その作品展の中心的なテーマ、コンセプトは身体に似せて語られる流木のイメージなのだろうが、実際はものの有り体を見せることでもあるようだ。そこいらが、つねにあいまいな問題として少し気にはなる。ともあれ、作品の成立の有り様がきっちり語られる硬派の作品展も少なくなったものだ。

C&D 美術批評  鈴木 敏春