伊藤正の最近の作品は、DIY (Do It Yourself.) をうたうホームセンターなどの店先で見かける素材を多用していることに気づく。スティール製の棚柱やキャスター、鎖など各人の個別な用途のために製造されたパーツが、伊藤の感性によって異種の用途へと転用された部品。オリジナルの形状はそのままに、たんなる道具の域を離れ、われわれの感覚に訴えてくるものたち。
今回の伊藤の作品は、鎖で吊られた渡り板が基となっている。その板の上に設けた人ひとりやっと通れる入口の両脇には、巨大な二本の蛍光灯がその行く手を照らし出している。突き当たりには幾重にもガラスが内蔵された鏡がある。壁の両側にそれぞれ付けられた時計から放射状に伸びた鎖は、吊り橋のように渡り板を支えている。
指示に従いゆっくりその上を歩いてみる。ぎしぎしと軋む音をたてて前後左右に揺れる渡り板。蛍光灯は眩しいほど明るく、その前方の鏡が私とともに揺れている。ガラスの反射によってその渡り板は、無限に続く道のように鏡の中へと消えてゆく。ふと横を見上げると、文字盤が白くつぶれた時計が、黒々とした針で不可解な時刻を告げている。吸い込まれそうな鏡の前で急にある映像が心を過った。ジャン・コクトーの映画、オルフェだ。鏡によって隔てられたあの世とこの世。魔法の手袋をはめればすり抜けられるおとぎの世界。日常のありきたりのものを彼一流の詩学で再構成し、甘美な世界をつくり出したコクトー。伊藤のこの不思議な装置も、けっして装飾的でない見慣れた日常の品々を再構成したものだが、それは異質な美を放っている冥府渡りの装置とでも呼びたくなるようなその作品。時の神に支えられた道は永劫の彼方へと消え、実際には辿り着けないなにかを暗示している。ありきたりのものに霊感を与える伊藤の仕事は、近代美術史以降のなかにひじようにオーソドックスな姿勢であるが、その作品は日常生活からかけ離れたポエジーに溢れていた。