伊藤正展(9月5日まで、ウエストベスギヤラリーコヅカ=名古屋市中区丸の内二、水谷ビル)

実在感なく溶解する自己の像

 モニター画面をのぞき込むと、揺れる時計の振り子が映し出されている。輪郭のはっきりした振り子と、それと時間的なずれをもって揺れる影のような振り子。だが凝視すると、おぼろげな自分の顔が浮かび上がり、はっとさせられる。
 構造上は対称に作られた作品。壁に掛けられた針のない振り子時計と、それと対面するモニター画面、その上に設置されたビデオカメラ。これがワンセットで、反対側にも同じ構造がある。この装置では、それぞれのビデオカメラが撮影した像がリアルタイムで反対側のモニターに映されるという単純なひねりによって、重層的な体験が企図されている。
 観客が一方の画面の前に立ったとき、彼を撮影したカメラの像は反対側(裏側)の画面にしか映らないので、彼は自分の姿を認識できない。凝視してこちら側の画面に発見できるおぼろげな顔は、反対側の画面に映った像の鏡像を迂回してこちら側に投げ返された像にすぎないのである。
 だから観客が見るおぼろげな自分の像は観客と目を合わさない。それは、実在感なく溶解し、「私」である観客と友好的に交わらない。不確定な自己は他者という回路を通してのみ「私」に到達できることをこの装置は示しているのだ。装置上気になる点などがなくはないが、作品は世界と自分の距離を探る作者の内省的世界を端的に溶かし込んでいた。

筆者 井上昇治
中日新聞 1997年8月25日(月)